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女子高生の学習用デスクにしては、なかなかに風格ある大きなそれだが。小学生に上がる前、最初の学習デスクを両親と見に行った折、妙に気に入ったご本人様が、その前から頑として離れなかったという逸話つきの代物だとか。どうせ普通一般のデスクを買ったとて、大きくなったら手狭になってしまうのだろうからと、ランドセルや制服と同じような感覚で納得した親御も親御で。そしてそんな大きなデスクを所望した頃合いに、同じ少女からやはり見初められたもう一つ。正確に言えば、引き合わされた格好の“せんせい”だったのだけれども、少女が大きくなったなら、その想いもまた、やっぱり大きく育ったようで……。
「……っと。こら、目を開けたままで寝ない。」
机の上を、ゆるく拳にした指の節でこつこつと叩かれ、その音でハッと我に返ったように身を起こしたところを見ると。やはり 素知らぬお顔でうたた寝していた彼女だったようで。馴染みのあまりない者にはなかなか判りにくいそれであり、
『利発そうな、聡明そうなお嬢さんですわね。』
『あまりに凛々しくて惚れ惚れとしますわvv』なんて、
知己の奥様がたからは必ず絶賛される、男装の麗人もかくやというほど冴えた風貌のその下で。実は実は…驚くくらい何にも考えてないわ、下手すりゃ すぐ真後ろに回られても気づかないんじゃないかと思うほど無防備だわで。彼らにだけ通じる“昔”に比べりゃあ相当な隙だらけでいる久蔵なので。彼、もとえ彼女のそういう様子を見るにつけ、現今ってのは何ていい時代なんだろうなと、あらためてのしみじみと痛感させられてしまう兵庫先生だったりもし。
「よしか? お前はどうも、一旦 苦手だとしたものは、
その決めつけを絶対に剥がさぬところがあるからな。」
地理や歴史はいつだって満点だのに、何でまた同じ文系の古文や漢文は壊滅的なのだろか。数学も、図形は得意で教えることもないほどだのに、関数に移るやいきなり低空飛行になっちまう。なに? グラフがちんぷんかんぷんだ? 双曲線とか式とつないで考えろと言われても?
「う〜ん、そうか、やっぱお前って右脳人間なんだなぁ。」
あまりに寡黙で、親御でも何が言いたい彼女なのかを読めないことがあるほどだのに。こちらの主治医の先生は、8年近いそのお付き合いの最初のころから既に、口下手でずぼらな彼女の意を酌める、不思議な洞察の持ち主で。
“まさかに、こうまで年の離れた間柄として再会しようとは。”
前の“生”では、理解し合えずに袂を分かつた元同輩。選りにも選って、この彼の手で鬼籍へ送られようとはと。付き合いが長かった割に、何が所望かなどなどを一番読めてたつもりでいた割に、肝心なそこのところが理解出来なんだのが一生の不覚と、意識が薄れゆく最後の最後まで、見つめ続けたそのお顔と、まさかこんな形で再会を果たそうとは。
「とりあえず、この公式群は丸暗記するんだな。それと……。」
淀みなく紡がれる彼の声を、久蔵とて聞いていなかった訳じゃあない。むしろ聞き惚れていての忘我状態になっていただけ。教科書やノートの上をすべる綺麗な指先が好き。小首を傾げると、かっちりした肩先から胸元へ、さらさらっとすべり落ちてくるつややかな黒髪が好き。ドキドキするよな激しいそれじゃあなくて。でも、この心地よい感触は手放したくはないなぁと、滅多に物を欲しがらぬ彼女が、今の“生”で初めてそうと思ったのが、この人の見せた様々な持ち物へ。一心に考え込むときにだけ見せる、ちょっぴり尖った気難しい横顔とか、案外と伸びやかで声量の幅も豊かな声とか。怒るとおっかない歪み方をするけれど、すぐにも気を取り直し、大丈夫だからと微笑ってくれるときの口許、それは冴えて鋭い眼差しの聡明さと力強さ。何をさせても覚束無い久蔵を、いつも見守り、身を削ってでもと支えてくれていて。前の“生”でそれへと気づけなかったことへの後悔はないが、それでも…生きにくかった時代にそうまでしてくれた人なのだという得難さは、今になって倍の頼もしさで、双刀という翼もがれての転生を果たした少女を、どれほどのこと力強く励ましてくれていることか。
「……ヒョーゴ。」
「? なんだ?」
二人きりのときだけは、昔のように呼び捨てで呼んでも怒られない。但し、
「英文のヒヤリングをどうして筆記にも生かせぬか。」
ああそれを説かれていたのか、また聞いてなかったなという気持ちの後ずさりに気づかれて、こらこらとこづかれたのは…まあ、いつものペナルティであったのだけれど。
「…………………これ。」
ちょうど彼女の手元側、どっしりとしたデスクの袖斗から、ごそごそと取り出したのは、何も書かれぬクラフト紙の袋が1つ。片手で渡しかけ、あややと思い直してのどうぞと両手もちで差し出され。何だ何だと怪訝そうに細い眉を寄せた榊せんせいだったが、一瞬泳いだ視線がデスクの上、液晶の電子時計へと止まる。ここへと浮かんでいた日付を見て、
「…ああ、そうか。覚えていたのだな。」
「…、…、…、…。(頷、頷、頷、頷)」
自分でも忘れていた誕生日。それへと向けての何かだろ。どうぞと真っ直ぐ、色香も何もあったもんじゃあない差し出されようをしたそれを、どうもと受け取り、折り畳まれただけの口を開けば、ふわりと流れ出たのは甘い香りで。
「お、おおおお。」
「………お?」
「オレとっ、シチと林田が作った。」
「ほほお、手作りか。」
「〜〜〜〜。////////」
絞り出すよな言いようだったその上、言い終えると力尽きたか、はあと深々した吐息をついたのが、何とも言えず可愛らしくて。刀を振るえば誰にも負けず、追随さえ許さなんだ剣鬼だった男が、そこは昔も同じ、最も苦手だった“気持ちを伝える”なんていう難しいことへ少しずつ手を染め始めている君であり。
“こういう時代にこそ、生まれるべきだった存在なのかもな。”
微妙なことをば思いつつ、文字通りの微笑ましいというお顔になった兵庫だったのが、久蔵の側にはどう映ったことなやら。お茶を淹れて来るからと慌ただしく立ち上がったそのまま、勇ましくも全力疾走で飛び出してった元朋輩を。おやおやとの苦笑でもって見送って、懐ろにいただいた甘い包みのささやかな感触へ、何とも言えぬ微苦笑が止まらぬ、榊せんせいだったりするのだった。
◇
「…勘兵衛様。」
昼も夜もない務めだとはいえ、それでも夜中は人の気配もまばらで。窓の外の夜陰に吸われたか、表には人気もあるはずが、ここまではあまり届かぬ殺風景な部屋であり。そんな中へと不意に掛けられた声に、ハッとして顔を上げれば。昼間に比べればまだ少し冷える夜気への配慮だろう、淡色のスプリングコートを羽織った可憐な少女が一人、捜査課の戸口に立っている。勘兵衛には見間違えようのない人物であり、だが、
「七郎次。どうやって上がって来れた?」
「えとあの…佐伯さんが。」
階下のロビーで気分転換にか煙草を吸っていた、勘兵衛の部下の一人であり。七郎次とも…まだ詳しく名乗ってまではないけれど、それと見分けがつくほどには顔見知りという間柄。だったせいだろう、特に何て言い繕わずとも察して下さり、警部補なら上の捜査課にいると教えてくれて。部外者の出入りには厳しいチェックがかかる区画なのでと、自分のだろうID証を首に掛けても下さった。緊迫状態にないからこその、微妙でささやかな法規違反だが、
「いけないこと、しましたか?」
金の髪を散らしたほっそりした肩を、痛々しくもすぼめてしまう少女を前にしては。それでなくとも愛しい対象、無下に追い返すのもためらわれ、
「…まあいいさ。」
こっちへと目顔で促して、携帯ので間に合わせる人が大半な、今時には珍しい頑丈そうな腕時計をその手首へと見下ろすと、
「特に取り掛かってる案件があるでなし、あと30分もすれば交替が来るから。」
だから送って行こうという続き、わざわざ言わずとも、こくりと頷き把握する賢い少女。甘えて駄々を捏ねていい間合いじゃあないと、ちゃんと読み取れての楚々とした態度で“判りました”とお返事出来る、何とも心地いい肌合いのする少女であり。ああこういうところも前の“生”の彼そのままだなと、かつては頼りになる副官だったこと、しみじみと思い出しておれば、
「あの…これを。」
歩み寄って来た彼女へと手近な回転椅子を進めた勘兵衛のその手へ、小ぶりなクラフト紙の袋が差し出され。お?と見上げれば、今更ながら もじもじと含羞むのが“自分で見て下さい”との意を伝え。手に取り、軽く折ってあっただけな口を広げてみれば、
「…おや。」
中に入っていたのはよくある焼き菓子だったものの、
「アタシと、キュウゾウとヘイさんとで焼いたんですよ? それ。」
「………☆」
あ、えとあの、ヘイさんは勿論ゴロさんへあげたんでしょうし、久蔵も今夜は兵庫先生がカテキョに来るとか言っていたから今頃は…と。少々あたふたと付け足した彼女へ、ほほおと感じ入ったようなお顔を隠さず見せてから、袋の中へ無造作に手を入れる勘兵衛で。愛らしいリボンで封されたセロファンの袋に、お行儀よく入れられているキツネ色の焼き菓子は、取り出すとほんのり甘い香りがし、さほどぱさりとした印象はない。それでも、
「あ、お茶淹れて来ますね。」
以前に一度、来たことのある部屋で。その折にザッと見回し、どこに何という配置を把握したの、まだ覚えていたらしい。そういう聡明さを、だが、相手が鈍感だったなら何の不思議も覚えぬようなさりげなさで発揮する、本当によく出来た子で。
“あの時にも思ったことだが……。”
前に生きた乱世の中、先のある彼を思ってのこと、唐突に旅立つことで姿を消した自分だったが。そののちの後生の中、どれほどのこと彼を思い出す機会が多かったことか。回顧であったり思慕であったりと形は様々だったが、後悔するのはそれこそ身勝手だと思い。好き勝手をした罰と、そんな痛みに耐えて耐えて過ごした身だったが。再び覲(まみ)えた彼の側もまた、前の生での思慕を深さそのままに思い出してくれた時は、矛盾した喜びを胸の底に感じたもので。どんな事件へも無頼漢へも不屈で挑めた男を、あっと言う間に卑屈な負け犬に落とし込んだ無垢な眼差しが、なのに恋しくて愛おしくてたまらないのもまた、途轍もない矛盾に育ちそうな気がして。年甲斐もない複雑な想いを打ち消したくて、ぱくりと齧った菓子は、想いの外に優しい甘さで。
「勘兵衛様?」
備えつけの煎茶を、それでも丁寧に淹れたのだろう芳しい香と共に戻って来た白皙の美少女へ、
―― 今度はもう二度と、馬鹿な早計から手放したりはしないと
そんな尊大極まりないこと、果たして言ってもいいものか。差し出された丸い湯飲みのその向こう、白い小さな手に、ついつい止まった視線が外せず、柄にもなく神妙になってしまった壮年殿へ。何も知らない可憐な少女は、小鳥のように小首を傾げ、愛しい主様 見やるばかり……。
〜Fine〜 10.05.29.〜05.30.
*微妙に間が空いたのは、
こういう長さになったせいです悪しからず。
いつもと違ってと言いますか、
初心に戻って3人全員のあれやこれやを盛り込んだら、
まあまあ書いても書いても終わらないったら。(爆)
*ここで問題です。
3人の果報者な殿方たちのうち、
“これってまさか、
父の日への予行演習だったりして?”
なんていう、
罰当たりなことを こそり思ったのは誰でしょうか?(笑)
めーるふぉーむvv


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